さらなる広い世界へ

 

「皆さんこれこれこうだと言うけれども私はああ思う」みたいなこと言ってみて。



よくよく調べてみればそれと同じ内容のことを大勢の人が言っていて。



「皆さんこれこれこうだと言うけれども」とよく言われる割に

これこれこうだと実際に言っている人は案外少なかったりして。



少なく見えたり多く見えたりやっかいなものですね。



囲碁の勝利条件は「地の多さで上回ること」なわけです。



ところが、苑田勇一九段の苑田理論に‥‥



あの有名な「美人は追わず」の苑田理論なんですけれどもね。



「相手の地になりそうなところが大きく見えたら、どうぞどうぞと地にさせてあげましょう」

みたいな感じのものがあるわけです。



その結果、最初に見えたものより相手の地が小さくなり自身の地は広がるという

ファンタジーな展開が待っているわけです。



そのようなことからギブアンドテイクのゲームなんて言われるわけです。



それを「あんたになんかあげないわよ」とか

「うわーこんな大きい地を作られたら大変だ」とか思って荒らしに奔走したりすると、

相手の地をいくらかなくせたとしても

それ以上に自身の地が損害を被るケースがあるわけです。



ひどいときには荒らした分に近い地が背後に現れていたり。



ひどいときにはすぐ打つわけでもないのに石を持ったまま考えていたり。



石を持ったまま考えるのは、

自身へ縛りを与えていることの表れだとか

のびやかな発想を阻むとか

まあその辺りの意味なのか知りませんが

やらない方がいい行為とされていたような気がするわけです。



囲碁というゲームが自由すぎるのか、

責任ある立場を担ってきたような大人な方にとってはつかみづらい部分があるのか、

自らを縛ることで果て無き自由度へ歯止めをかけようとする傾向が

多くの方々に見受けられます。



●切断されないように連絡させなければいけない

●石が取られそうになったら生きなければいけない

●相手の弱い石を見つけたら取りに行かなければいけない

●工夫をこらさなければいけない

●難しいことをしなければいけない

●碁盤から目をそらしてはいけない

●なにかあったら大変だから守っておこう

●そんなこといったってしょうがないじゃないか

●あれもこれも心配なんだからしょうがないじゃないか



など「こうしなければいけない」というシバリが先に来て

シンプルな発想や柔軟な対応ができず動きが硬くなり

石をつかんで離せなくなり

責任感のカタマリのような人になると

碁笥のなかへ片手がすっぽり吸い込まれたような状態になっていることもあり

結果もっさりした手ばかり打ってしまうのです。



「しまうのです」

なんて断言っぽく書いてしまうと違った時がまずいかななんて気にしたりするのもそうです。



連絡やら眼形やら事務的な部分にやたらと敏感なことなどにも感心させられます。



これが無責任寄りな人の場合

そういった事情より「打ちたいところへ打つ」ということが先に来るわけですよ。



○断点があろうが他に打ちたいところがあれば放置

○切断されても気にせずさらに放置

○生きるために苦労しそうなら捨てるなりなんなり楽な道へ

○誰にでも浮かびそうな単純な手のオンパレード

○こうなればたのしそう(ある棋士のコメントより)

○たまにぼーっとする

○強くなるための方法を他人に聞かない



それはそれで一長一短ではありますが

あっという間に強くなる人はこんな感じの大らかなタイプに多いように感じられます。



こまごまとした事情に過剰に縛られるようなことがなく

「自分自身がどうありたいか」がストレートに表れてくるので、

「豊かな方向へ石を向ける」とか「のびやかに打つ」

といったことが自然に出来やすいスタイルになってくるわけです。



ときに問題行動などで話題になってしまう方などがいますが、

そのようななかにも

無責任なようでいて責任感が強いといいますか、

その方なりの大人の事情に縛られていたのではないかと感じられるケースがあります。



大人の事情で行かなければいけないとかやらなければいけないとか

こういったいわゆる

それらが本来取るに足らないものだったとしても重要だと思い込んでしまうといったようなそれは、

小をむさぼりて大を失う的なそういった感じのあれは、

慎重でよく考える人ほどハマりがちといいますか

考えるほど視野が狭まって大きな流れを見失ってしまう傾向が

ないかもしれないけどどうだろうと。



盤上も世の中も常に変化していくわけですから

大まかなビジョンを描きつつも

それにとらわれることなく

新たな局面へ柔軟に対応していける

そんな人っていいですねみたいな。



もっと素直に「自分はこうありたい」という方向へ向かっていけていれば

なんて思うこともあれば

そういうのを責任感が強いせいだとするのもどうかなと思うこともあれば。



責任感の定義なんて絡んできたらもうお手上げ。



いやいや混乱してばかりで‥‥。



ところで、棋力を上げるためには

手筋・詰め碁・棋譜並べといった勉強が大事なのはよく言われることですが

責任感強めな人ほど勉強というものに対して身構えてしまうといいますか、

気楽に取り組むことができなくなるといいますか、

要はそういった人ほど勉強しない傾向があるといいますか。



いいかげんな人は



○動画を見ながら

○ラジオを聴きながら

○「麻生太郎 かわいい」で検索しながら

○移動中とかなにかの合い間に

○オリビアを聴きながら



‥‥などなど、

なにかしらのかたちで雑に取り組みライフワークにしてしまうといったことが

あるのかどうかは知りません。



でどうすればいいのかという部分に関しては皆様次第といいますか、

こちらとしましても結局のところわからないといいますか、

書いているうちに何がなんだかわからなくなってきたといいますか。



具体的にどうということでもないのですが、

自身を縛る鎖をほんの少し緩めることが出来て

さらなる広い世界がほんの少し見えてきたら

ほんの少し楽しいかもね

みたいな話だったと思っていただければ幸いです。

 

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