あいまいの美学2
あら久しぶり!
どうして生まれてから大人になったときに
どっかの野球チームが9回に5点差逆転されて
シャワーが長い!なんて怒られたとか聞くと
勝負は碁笥のふたを閉めるまで分からないそうですね
いやいや、違うんです違うんです
もちろんわかってやってるんですよ
あそこで調子にのってツブそうとして気づいた時には自分がツブれていたのも
パフォーマンスってやつです
美学大切、されど精神不安定
最後まで気を引き締めること
しっかり自信を持って打ち進めること
体力、忍耐力、打たれ強さ、馬力
そういうのも大事
美学系の人はその辺が欠けていることが多いからイヤよねなんて
ではいきましょうか
さらに奥ゆかしい例がこちら。
こういうのって本来いわゆる“感じとる”系のものなので
言葉で説明するのは難しいとしたうえで読んでいただければ幸いなのですが
この黒の手(▲)は急所の代表のような好手。
そこにあるだけで光り輝いている感じがしませんか?
この手もやはり黒Aと切断する手をねらったノゾキの手です。
黒のねらいはAのキリ(切断)ですから白としてはそれを防げば良いように思えますが
この形のケースではどうつないでも
「アキ三角」と呼ばれる悪いかたちが出来てしまうため
出来ればつなぎたくありません。
そのため、美しく打とうと思えばつながずに何とかしようとあれこれ画策することになりますが、
急所にある黒石は白がどのように応じようと輝きを失うことはなく、
白は今後の展開に不自由することになります。
では、白が受けずに手を抜いた場合黒はどうすべきでしょうか。
実はここで黒がある手を打ってしまうと
白からどう打っても失われなかった黒石の輝きが一瞬にして失われてしまうのです。
実際初段近辺の方など
せっかく急所を打ったにもかかわらず
相手の手抜きに対してそのある手を打ってしまわれる方が多いのです。
それはいったいどのような手でしょうか。
ヒントは「そこにあるだけで光り輝いている」、そして「黒のねらいはキリ」。
正解は黒1のキリです。
繰り返しになりますが黒のねらいはこのキリであり
このねらいがあるからこそ黒▲のノゾキが光を放っているわけです。
そのキリを打った瞬間その輝きが失われてしまうのですから碁は玄妙。
いったいこれはどういうこと?
白がつなぎたくないのであれば黒にとっての目指すべきところの第一候補(?)は
“つないでもらうこと”なわけさ。
見方を変えれば、切る手は基本的に悪手だから白はつなぐ必要がない、
しかしながら展開次第でいざとなれば切ってくるから
いちいち気にかけていなければいけない、
だからこそ黒▲のノゾキが光を放っているわけです。
ノゾキというのは切断を狙った手をいいますが
切断が好手になるノゾキは悪手、
切断が悪手になるノゾキは好手、
というのが前回の話ともつながるひとつの棋理となります。
黒は「切るぞ切るぞほら切りますよ~」と言いながらなかなか切らない。
白はつなぎたくないけれども切られる心配をしなくてはいけない。
前回の“ほどほどの戦果”よりさらにあいまいでおたがいに悩ましい形。
見方によってはとても味わい深くその辺りが
黒▲を急所たらしめているといえるでしょうか。
もっと筋をよくしたいと考えている人はとりあえず
「なるべく相手に迷わせるように打つ」
ということを念頭に置いて対局へ臨んでみるのがおススメです。
しかし、あらゆることに例外があるのが囲碁。
第2回のコラムでも書いたように
俗筋が妙手となることもあるのが芸事におけるお約束。
音楽でいえば、
不協和音やありきたりなメロディなどでも
前後の関係によって意外な輝きを放つケースがあるわけですよ。
例えばこのような形、ここでは黒1とロコツにノゾく筋悪流(一見)がなかなかの好手になります
理由を述べるとやや専門的になってしまうのですが、
白Aとつながせることによって■の2子を軽くして捨てやすくするメリットがあるためです。
白Aの後に白Bと出てきても2子はすでに価値が軽くなっていますから
黒はおさえたりせず喜んで2子を差し出します。
そこで白はつなぐ前に一度白Bと出を打ったりします。
黒はここで2子を捨ててしまうと白にAを省かれてしまうため
おさえて白にツナギを打たせようとします。
黒がおさえたらそこで白はツナギを打ちます。
今度は黒石が増えているので捨てるわけにはいかないとみて
黒は断点を守るかもしれません。
この白の出も一見命令手であり俗筋の最たるもののはずですが
黒2子を軽くして捨てようとする黒の意図を外しているため
場合の好手と考えられるわけです。
え?
なにいってんだかわからない?
私もです。
結局なんだかわからないことだらけでしたね。
結局なんだかわからないことだらけというか
なんだかわからないなかで模索するってことかな。
だらだらでごめんなさいね。